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「日本の賃上げ祭り」を斬る!
VOL.1 インフレの種類、労組の種類

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海老原 嗣生

雇用のカリスマ(ヒューマネージ社顧問)

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中久保 佑樹

ヒューマネージ 『HR AGE』編集長

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海老原 嗣生

雇用のカリスマ
(ヒューマネージ社顧問)

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中久保 佑樹

ヒューマネージ
『HR AGE』編集長

このコーナーは、『HR AGE』編集長の中久保佑樹(株式会社ヒューマネージ)が、雇用のカリスマ・海老原嗣生氏の胸を借り、世間一般で言われる雇用問題について、何が正しいのかをテーマごとに集中連載で解き明かして行きます(ヒューマネージ代表・齋藤亮三も同席)。節々に人事・雇用に必要な基礎知識を盛り込み、ニュース解説のようにご覧いただけて、かつ経営・人事に必要な“眼”につながる記事を目指しました。多少の脱線はありますが、私自身、このハードな筋トレのような集中連載を通じて、データ、事例、政策、法律…世界や歴史を見渡した本物の知識を身につけていきたいと思います。人事の皆さまにとって、少しでもお役にたてば幸いです。

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齋藤 亮三

ヒューマネージ代表取締役社長

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齋藤 亮三

ヒューマネージ代表取締役社長

それ、大きな誤り!

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今の賃上げは、経済学の常識違反

中久保:いやあ、世の中どこ見ても賃上げが叫ばれてますね。労働組合からだけでなく、最近じゃ、経営者側の代表=経団連まで賃上げの大合唱。ようやく日本も、世界標準の、給与が上がる国、になれそうです。

海老原:世間の動きを盾に、君も賃上げ狙っとるのか!本来、経営側のスタンスでいるべきポジションのくせに、まだ昇給を言うとは、齋藤社長の辛さもよーわかるわ。

中久保:や、やめてください。私のことはさておき、長らくデフレが続き、世界的に「安い日本」と蔑まれつつある今日び、賃上げは大切なことでしょう!

齋藤:ははは。ところで、海老原さんはこの賃上げ騒動をどうご覧になりますか?

海老原:齋藤さんと同じ見立てかもしれませんが、俺はこの賃上げ騒動、相当やばいなと思ってるんですよ。第一に、経済学的に見ても、今回の「物価が上がるからそれに見合う賃上げを!」という話、大きな瑕疵があるんだわ。中久保、物の値上がり=インフレには2種類あるのは知ってるかい?

中久保:さすがにその位はわかりますよ。原材料などの原価が値上がりするからそれにつられて価格も改定するという「コストプッシュ型インフレ」が一つ。もう一つは、買い手からの引き合いが多くて、作り手は供給しきれないから、値上げする「ディマンドプル型インフレ」ですよね。

海老原:なかなか良く知っとるなあ。

中久保:海老原さんの後輩(大学)ですから(笑)

海老原:コホン。で、後者だとさ、原価は変わらず売値だけ上げるわけだろ。そうすりゃ儲けが大きくなる。この場合、当然、利益の労働者還元で給与アップは問題ない。Win&Winなわけだ。だけど、前者の原材料アップの場合、会社の儲けは減ってるわけだろ。その状態で、さらに人件費アップが起きたら会社はどうなる?

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中久保:それこそ、泣きっ面に蜂ですよね。もう潰れるしかなくなる…。

海老原:仮に値段を上げなければ、そうだよね。日本の場合だとそうなる会社が多いかな。欧米なら、賃上げするだろうけど、その分企業は苦しいから、価格を再改定して、また値上げすることになる。そうすると、インフレが昂進するから、労働者は再賃上げを要求する…とスパイラルに陥ることになるわけだ。

中久保:そうか!確かに欧米を見ていると、インフレが日本の比ではないほどに大きいですものね。

欧州はインフレスパイラルが止まらない

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齋藤:「日本は賃金が上がらない、でも欧米は上がっている」ということばかりが主張されがちですが、欧米はそれ以上に物価が上がって、日本より苦しくなっているという現実を忘れているという側面もありますよね。

海老原:そのとおり!コストプッシュ型インフレで賃上げをすると、インフレが止まらなくなる。しかもね、値上げと賃上げの間にはタイムラグがあるから、一時的に「物価は上がったけど、賃金がついてこない」状態が何度も起きる。そのたびに、懐が寒い消費者は買い控えをする。つまり、金額だけでなく、数量的にも売り上げが減るんだ。こうしたことが合わさり、不況の谷が深まり、インフレが止まらないという「スタグフレーション」状態に陥る。

中久保:それ、聞いたことあります!高校の現代社会の教科書にも出てきました。1970年代のアメリカが10年近くにわたってスタグフレーションに陥ったと。

齋藤:そう、3度の湾岸戦争やOPEC(石油輸出国機構)の台頭などで、原油価格の高騰などから始まったインフレに火がつき、欧米では大変なことが起きたんだ。日本は第一次オイルショック時こそ、年率40%にも及ぶインフレが起きたけど、その後は、比較的スムーズにこの災禍を乗り切ったと言われていますね。

中久保:海老原さんや齋藤社長のようなオジサン世代だと、オイルショック時代の話に現実味が出ますね。どうやって乗り切ったんですか、日本は。

海老原:オジサン言うな。ナイスミドルと言いなさい…。第二次・第三次のオイルショックでは、日本は労使協調して、「賃上げを我慢するので、再値上げもしない」という雰囲気を作ったと言われてるんだ。

中久保:それが一つの成功体験となって、日本は給料の上がらない国になったわけですか?

海老原:いやいや、それは早計。結論は急がず、ゆっくりと。

なぜ欧州は賃上げが進むか?労組のカタチの違い

齋藤:労使協調という話が出てきましたが、日本の労組は欧米、特に欧州と比べると大きく異なっていますよね。中久保、それは知っている?

中久保:詳しくはわかりませんが、これも高校の教科書に出ていた話ですけど、日本型雇用3つの特色で、「終身雇用」「年功序列」に並んで「企業内労働組合」という言葉があったのを覚えてます。でも、労働組合って、企業別に存在するのは当たり前じゃないのですか?職場の労働者が集団で、経営者に交渉するのだから当然でしょう。

海老原:いやいや、それこそ、日本だけの話なのだわ。今、集団交渉という言葉が出たね。これ、団体交渉ともいい、労働者の権利として憲法28条でも認められている。ただ、この意味合いが、この語を生んだ欧米での使われ方と大きく異なっている。

中久保:団体交渉、団交なんて普通に使われますよね。で、その先にストライキがある。これのどこが日本と欧米で異なるんでしょう?

齋藤:これ、原語では「コレクティブ・バーゲニング」、「集合取引」と訳されるものですよね。

海老原:さすが齋藤さん。この語が生まれた19世紀イギリスでは、企業は働き手としての職人たちを束ねる親方たちと契約して、労働力を確保してたんだ。親方たちは、配下の職人が勝手に企業と雇用契約を結ばないように圧力をかけていた。ただ、どこかの親方が仕事欲しさに、ダンピングして企業と個別契約を結ぶと、賃料相場が崩れ出す。その繰り返しだったため、親方全員が協議をし、皆が足並みそろえて、全員が集まり、一斉に企業と交渉するようになった。

中久保:その業界の職人たち全員が集合して、一糸乱れず賃上げ闘争を行う、ということが、そもそものコレクティブ・バーゲニングの意味だったわけですね。

海老原:そうそう。その親方同士の結束が、時代の流れで労組に進化していった。ちなみに、この労組の素になった親方組合が「ギルド」と呼ばれていたわけ。こうして、各職業や産業で、企業を超えた労働者の束ができあがったわけだ。つまり、欧米、とりわけ欧州の労働組合とは、企業単位ではなく、職業や産業単位なのが当たり前ということ。

中久保:それは、日本と大きく異なりますね。

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「赤信号みんなで渡れば怖くない」型の賃上げ

海老原:集合取引の意味が分かったところで、次の問題。では、なぜ、欧州型の企業横断労組は、賃上げがスムーズであり、日本型の企業個別労組はそうではないのか。ここはわかるかい?

中久保:数の論理でしょうか…。

海老原:数もそうだけど、横並びが心地いいのよ、労働者だけでなく、経営者もね。

中久保:え?どういうことです?

海老原:たとえばさ、日本の企業別労働組合で、賃上げ交渉が進まず、ストライキに発展したとするじゃない。それでも交渉が妥結せず、ストが長引くとどうなる?

中久保:そりゃ、企業は操業できず、窮地に陥りますよね。

海老原:だけじゃなく、労働者も「これじゃ会社が潰れてしまう」と焦るよね。その一方で、ライバル企業はウハウハになるだろ。

中久保:そうですね。競合がストしてたら、鬼のいぬ間の洗濯で。

海老原:つまり、ストライキとは、自社を苦しめますます賃金が上がらなくなり、一方で他社に塩を送る行為。

中久保:これじゃ、労働者もうかうかストライキなどできません。

海老原:もう一つ。このストライキに応じて、賃上げをしたとする。結果、経営は賃上げ分を価格に上乗せしたくなるだろう。でも自社だけ値上げしたら、やっぱり他社に仕事を奪われる。だから、日本型だと価格転嫁できない。結果、賃上げ分の利益減少で、経営が苦しくなる。

中久保:一方で、欧州型なら、賃上げは職業や産業全体で一律に起きるわけですね。これなら、他社も同じ条件だから、一斉に価格転嫁できます。

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海老原:そう、経営にとっても「全企業一律」というのは嬉しいことなのだ。よくね、フランスなどでは、この労組による一律賃上げの力を弱めて、企業個別に給与交渉できるように、と経営自由度を上げる法改正が模索されるのよ。でもそうした時に、経営側から、「今の一律型でいいです。個別経営力など強めなくてかまいません」と泣きが入る。おかしいだろ。経営が「労組の力を削がないで」と頼んでるんだから。

中久保:それくらい、一律型は心地いいと。

海老原:ところが、それで、冒頭のインフレスパイラルが止まらない。つまりね、雇用の世界、全てが丸く収まるような万能薬などないということ。これに似た話は今後も多々出てくるから、このキーワード覚えといてね。

中久保:…みんなまとめて、集団交渉…むにゃむにゃ

海老原:聞いとるのか!

中久保:あ、いや、今良いこと聞いたと。

海老原:え、何、団交で賃上げ企んでるの?大変たいへん、さ、齋藤社長っ!!

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中久保:齋藤社長、そんなわけで今日は初回コラムということでいろんなイイ話、聞けましたね。

齋藤:さすが海老原さんだよね。欧米型雇用については日本では雰囲気や印象論で語られがちだけど、こうして仕組みを具体的に紐解いてもらえると面白いね。

中久保:「赤信号、みんなで渡れば~」ってまさに日本型のフレーズだと思ってたんですが、こと賃上げにおいては欧米式を見習わないとですね!

齋藤:うーん、でも海老原さん、おれも長い付き合いだからわかるけど、「日本の賃上げ」がテーマとなると、次回コラムで核心に迫ってくると思うよ。

中久保:え、そうなんですか?(欧米型賃上げの話は何処へ…)

齋藤:我々ナイスミドル世代は「思慮深さ」がウリなのでね。せっかちはモテないよ(笑)

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