Morinaga First Story
パイオニアスピリットを胸に抱いて、
森永製菓の歩みは常に「初めて」への挑戦でした。
1899年、一台の箱車から私たちの挑戦は始まりました。
明治33年4月
溜池通りの初期の店舗
日本の人々に栄養価のある
おいしいお菓子を届けたい。
明治38年4月
店舗を赤坂田町に移す
その想いから、始まったのです。
明治40年
生産規模拡大の為、芝田町に工場をひらく
より多くの人へ、私たちの製品を届けるために。
大正3年
バラ売りだったキャラメルを紙箱に入れた
「ポケット用ミルクキャラメル」の発売
今も変わらない、
おいしさとたのしさ。
そしてすこやかさを。
大正初期
斬新なキャッチフレーズで話題となったポスター
時に斬新な切り口で、
世の中にPRしてきました。
大正7年
日本ではじめてのチョコレート一貫製造設備
「この味を日本に広めたい」
「お菓子を通じて、新しい価値を与えていきたい」
大正7年
国産第一号となるミルクチョコレートを発売
私たちを動かしているのは、
その「パイオニアスピリット」なのです。
大正9年
福岡で開催された興業博覧会で日本初のココアホールをひらく
より楽しく、
大正14年
新鋭製菓工場を鶴見に作り上げる
より大きく、
昭和6年
飛行機を使った斬新な宣伝「飛行機セール」が話題に
誰にとっても、かけがえの無い、
昭和12年
今でいうキャンペーンガールである
「スイートガール」を使ったキャンペーン
存在としてあり続けたい。
昭和19年
日本初のペニシリン「碧素1号」生産開始
戦時中も、
その想いは変わりませんでした。
戦後の混乱を乗り越えた昭和24年
ちょうど創業50周年に当たるその年、森永製菓の再出発
戦争が終わり、もう一度、森永製菓は再スタートをきります。
昭和35年
日本初の国産インスタントコーヒー発売
時代に合わせて、商品を。
昭和35年
バレンタインデー企画をマスコミを使って大々的に展開
より身近な存在へと。
昭和50年代
外国ブランドの製造販売の分野でライセンス契約を次々に結ぶ
様々なカタチで外国企業と提携。
平成15年
独自の技術で生まれた焼きチョコ「ベイク」誕生
新しい価値を創りだしています。
全ては、創業当時から、変わらない
パイオニアスピリット
から始まっているのです。