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社会人採用
富士山麓電気鉄道株式会社 出向

奥田 壮一Soichi Okuda

富士急行で
経験してきたことすべてを、
次の世代へと継承していく

その日の業務を終え、富士急行線の最終列車が終着駅に着くと、「今日もまた、安全に列車運行を遂行できた」という安堵感で胸がいっぱいになります。
始発と最終列車を見届ける――初めて責任者になった時から変わらずに続けている習慣です。

鉄道部長として、鉄道事業の全業務を統括

大月駅と河口湖駅をつなぐ富士急行線は、数多くの観光客が利用する「観光路線」の顔と、地域住民の皆さまが利用する「生活に密着した路線」の2つの顔があります。当社は2022年にこれまで富士急行本社が運営していた鉄道事業を分社化し、グループ会社である富士山麓電気鉄道がその運営を担うようになりました。

私は分社化の前から富士急行線の業務管理者を務め、現在は富士山麓電気鉄道の鉄道部長として、鉄道事業に関するすべての業務を管理しています。安全管理や鉄道設備の維持管理、運転、輸送、営業など、あらゆる計画を関係者と協議しながら立案・実行していくことが、主な仕事となります。

それまで勤めていた鉄道会社を退職し、富士急行に転職したのは2006年で、以来、ジョブローテーションでさまざまな事業を経験してきました。どの配属先でも貴重な経験ができましたが、「キャリア形成」の視点で考えると、初めて富士急行線の業務管理者に着任した2011年からの3年間が重要な転換期となっているように思います。

富士急行に転職して6年ほど経っており、今後のキャリアについて模索していた時期でした。これまで以上に鉄道事業に真剣に取り組み、少しでも多くの実績を残そうと決意し、できることすべてにチャレンジしていったのです。当時の私が考えたのは、より一層地域とのつながりを密に取り、地域に貢献していくことです。そこで、沿線の企業や自治体に働きかけ、さまざまなキャンペーンや広告を打ち出していきました。すべての取り組みがうまくいったわけではなく、実績を残せず、反省する機会も多々ありました。それでも、「地域の未来のために」「鉄道事業の未来のために」と願って取り組んだ経験をはじめ富士急ハイランド・ハイランドリゾートでの技術管理など多岐にわたる経験が、現在のキャリアの土台となりました。

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富士急グループならではの温かな風土を感じた、2つの出来事

これまでグループの強みや人の温かさを感じた経験が多くあります。数多くのエピソードの中から2つほど紹介します。

一つは2011年3月11日、東日本大震災が発生した時。私は富士急ハイランドに勤務していました。園内は停電し、観覧車をはじめすべてのアトラクションが停止。上司全員が会議のため不在で、私を含め2名が事務所に残されていました。

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ちょうど一週間前に行った園内防災訓練での経験を思い出し、園内スタッフはスムーズにお客様を避難誘導ができました。私はスタッフに指示を出し、非常用の発電機を発動させて、アトラクションの上部に取り残されてしまったお客さまを救出。その後園内は避難場所となり、自社の発電機だけでは足りず、近隣地域の協力を得て発電機を集めて対応しました。泊まり込みでの対応になりましたが、なんとかお客さまとスタッフの安全を守り、最低限の日数で復旧することができたことを記憶しています。

もう一つは、2014年2月14日から15日にかけて山梨県内に大雪が降った時で、当時の私は富士急行線の業務管理者を務めていました。大雪により、積雪が1メートルを超えました。未曾有の大雪によって富士急行線は運休になり、帰宅困難なお客さまが出てしまいました。この時も地域の方々に協力を仰ぎ、路線に避難所を急遽、用意するなどの対応を行いながら、線路内の除雪を職員や関係者のみなさまと進めていきました。

鉄道の復旧を最優先にグループ各社の社員が現地にかけつけ、除雪作業を手伝ってくれたのです。5日間かけて鉄道が復旧した時、みんなが歓声を上げて喜んでくれました。私はこの話を聞いた時ほど、グループの温かさを感じたことはありません。そして、改めて富士急行線が「地域になくてはならない大切なインフラ」であると同時に、「地域の人々によって支えられていること」を認識したのです。

今後の目標

富士急行で経験してきたこと、学んできたことを次の世代へと繋いでいく。これが、今の私の目標です。いつか、未来の担い手が富士急行の鉄道事業を継承し、富士急行線を利用するすべての人々に愛され続ける鉄道にしてもらえたら、これほど嬉しいことはありません。

皆さんへ

私は大学で電子通信工学を学び、鉄道会社に7年勤務した後、富士急行に転職しました。学生時代は学問よりもアルバイトや学生団体の活動に打ち込んできましたが、今思うと、これらの経験が社会人としての基礎を築いてくれたようにも思います。これから就職する皆さんにも、学生時代に幅広い経験を積んでいただけたらと願っています。私は技術畑出身なので、当社の技術職に興味を持ってくれる人が増えたら嬉しいですね。いずれにしても、広くさまざまなことに興味を抱き、強い意志をもって仕事に取り組む力をもった方が入社してくれたらと願っています。

JOB ROTATION

2006.04-2007.06

交通事業部 電力区

前職の経験を生かして、変電所や信号設備、通信設備など、鉄道電気設備の保守や工事管理業務に従事。社員一人ひとりがプロ意識をもって働いている姿を見て、大いに刺激を受ける。

2007.07-2008.03

交通事業部(鉄道担当)

以前から興味のあった交通事業部で、スタンプラリーなどのイベントや、チラシ・ポスターといった広告物の企画・運営を担当。

2008.04-2009.09

企画部

グループ内の大型設備投資に関わる業務を担う企画部に異動。富士急ハイランドの「鉄骨番長」を始め、大型施設を担当できたのは、自分自身のキャリアにとって貴重な体験だった。

2009.10-2011.06

(株)富士急ハイランド 出向

富士急ハイランドのアトラクション及び施設の検査計画や修繕対応などを担う。管理担当として、大規模修繕から細かな修理まで、幅広く携わる。

2011.07-2014.06

交通事業部(鉄道担当)

富士急行線鉄道事業の管理者に着任し、鉄道事業の全部門を統括する。この時期は、自分のキャリアにおいて、最も仕事に注力した時期。「鉄道事業の存在価値をさらに高めていきたい」との思いのもと、地域や自治体と連携を図りながら広告・宣伝活動を積極的に展開していった。

2014.06-2018.03

ハイランドリゾート(株)出向

ハイランドリゾートが運営する全施設の責任者を務めたほか、富士山ステーションホテルの立ち上げにも従事。この時点で、鉄道、遊園地、ホテルと、不動産以外の主要事業をすべて経験したことになる。

2018.04-2020.06

事業部 安全CSグループ

グループ会社が計画した大型設備の修繕工事を取りまとめ、発注手続きも含めて工事全般及び安全管理を担当。グループ全事業の設備の修繕工事に携わったことで、技術面の知識やスキルがさらに高まるとともに、安全管理についても幅広く経験した。

2020.06-2022.03

事業部 鉄道管理センター

再度、富士急行線鉄道事業の管理者に着任する。この時期から「後継者の育成」を意識するように。積極的に部下に仕事を分担し、彼らの成長を支えていった。

2022.04-

富士山麓電気鉄道(株) 出向

これまで富士急行が運営していた鉄道事業が分社化し、富士山麓電気鉄道に事業を継承。これに伴い、富士山麓電気鉄道に出向し、鉄道事業の実務責任者として引き続き業務に携わる。また、鉄道部長として社外との調整業務も担うなど、より一層、幅広い活躍を見せている。

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